本研究室は惑星形成時におきた水や有機物の獲得過程の理解を通して,現在の地球に生命が育まれるに至った背景の理解を目指している.特に宇宙風化作用の定量評価を目的とする.
宇宙風化とは天体の表面が宇宙線や太陽放射線に曝されることで経年変化する現象であり,特に厚い大気を持たない小惑星等において支配的な現象である.現在の地球が保持している水や有機物の起源は原始太陽系の微小天体と考えられているが[例:Hsieh and Hewitt 2016, Science]が,惑星固有の供給過程や組成分布の違いなど未知な部分は多い.
これらの理解を深めるために「はやぶさ2」の惑星探査等により表層環境の観測情報が蓄積されつつある[例:Sugita et al. 2019, Science].しかし,惑星探査では「今」の,すなわち宇宙風化を始めとする様々な物理過程を経て変成した後の情報しか得られない.
従って観測情報から過去の状態を類推するためには宇宙風化作用の定量的な理解が不可欠である.本研究では原子核物理の知見を考慮したシミュレーションと,炭素化合物において宇宙風化によるスペクトル変化が顕著な紫外光を用いた室内実験を組み合わせて,観測情報と天体進化を結び付ける.
本研究は,表層環境の観測情報と天体形成初期の状態を結び付けるために,宇宙風化作用の定量的な理解の深化を目的とする.具体的には,原子核物理の側面から,表層やレゴリス層内の放射線環境を再現するシミュレーションの構築と,紫外線照射による天体表層スペクトルの変化を調べるための室内実験を行う.
前者においては,宇宙風化を引き起こす放射線粒子(電子,陽子等)と,天体表層物質を構成する分子の間に働く物理的な相互作用の再現計算を通して,放射線と天体の間のエネルギー授受と,その深さとの関係性を定量的に把握する.
後者においては,特に炭素化合物においてスペクトル形状の変化が顕著に表れやすい紫外線領域(波長50–300nm)について,隕石サンプルに対する照射試験を行う.これらの放射源として,高周波回路を用いたガス励起発光システムを構築し,さらに紫外線領域に適した集光光学系を組み合わせることで,紫外線による宇宙風化作用の加速実験を行う.
探査や地上観測のデータとシミュレーション,および室内実験を結び付けて宇宙風化作用の理解を深めることで,太陽系形成初期におきた地球の水,有機物獲得の過程を解明する.
本研究は,天体における生命誕生の鍵となる水と炭素化合物の獲得過程に着目している.これらの物質の獲得は,主に太陽系形成初期に行われたと考えられているが,我々が手にできる観測情報からだけでは確証は得られない.
本研究を通して宇宙風化作用の定量的な理解が進めば,観測データとの組み合わせにより生命誕生の土壌となった地球の進化過程が明らかになり,アストロバイオロジーにとって極めて重大な一面が明らかになる.
また,本研究は地球に限ったものではなく,宇宙風化という普遍的な物理過程の理解を目指しているため,エウロパやエンセラドス等の天体における,今現在の生命の存在可能性を議論する上でも重要な知見をもたらす.