我々は,原子吸光原理を用いたLy-α吸収セルと誘電体薄膜を用いた干渉フィルタを組み合わせた超小型分光撮像手法の確立を目指している.特に彗星の水素コロナ観測の精度向上を目指し,吸収セルのフィラメント形状最適化と干渉フィルタの透過率特性の最適化を目的としている.

70%以上が水氷(H2O)で構成される彗星は,太陽系惑星への水供給の担い手であると同時に,特定の軌道条件下では太陽系外へ水を運び出す役割も果たしている[Morbidelli+00].従って,オールト族や木星族など様々な軌道種の彗星の水に関する情報は,太陽系の水史を理解する上で重要である.

彗星から放出された水は紫外線で解離され水素原子が生成される.これらは彗星コマの主構成成分として105-107kmの広大な範囲に分布し,その描像や時間変化は彗星活動度の指標となる.また水素ガスの温度や同位体比(D/H比)を調べることで,散逸の物理過程や彗星を構成する水の特徴を理解できる.コマ中の水素温度や同位体比の測定手法としては,直接探査による粒子計測とLy-αを用いた遠隔観測が挙げられる.

前者は様々な原子の同位体比を測定できる一方観測機会は限られており,過去に2例しか実現していない[Altwegg+15等].また大局的な描像と時間変化の把握に不向きである.後者は動的描像の把握に適しているが,Ly-αが真空紫外領域にあるため宇宙空間からの観測が必須である.さらに近接したHとDのLy-α(121.534, 121.567nm)を分離するためには極めて高い波長分解能が要求され,30kg級のエシェル型分光器に頼るしかない.

しかし,様々な彗星の観測を高頻度で実現するためには超小型探査機を活用すべきである.そのためには装置の小型化(3kg,3Uサイズ以下)が必須条件である.

本研究室が提案する小型水素撮像装置の概念を図1 に示す.光路上に2つの波長選別フィルタを設ける.1つは原子吸光原理を用いた吸収セルである.これはH2ガスを封入したセル中でフィラメントを加熱することでH原子を生成し,H由来のLy-αのみを共鳴吸収するものである.フィラメントOn/Off時の光量差からH,DのLy-α光量を分離して導出できる.

また,フィラメント温度を調整することでH Ly-αの吸収線幅を変えられ,ガスの温度を同定できる.2つ目は誘電体とMgF2基板を用いた狭帯域干渉フィルタ(透過幅約5-10nm)である.検出器が感度を持つ紫外領域(200nm以下)の連続光を除去する.これらを直列に並べることで,観測対象の光をH,DそれぞれのLy-α(もしくはD のみのLy-α)に選別できる.

我々はこれまでの開発研究で手掛けた試作品を組み合わせてこの装置のプロトタイプを製作し,H,Dの輝線が分離可能であることを確認した[Kuwabara+17].一方,吸収率を99%以上に上げるためにフィラメント電力を増やすとノイズが10倍以上に急上昇する問題に直面している(図2).

この計数は2500K以上に熱せられたフィラメントの黒体放射と熱電子衝突によるH励起発光に由来すると考えられ,図1の装置で彗星Ly-αの典型的な明るさ(1kR)を観測した場合と同程度の計数となり極めて重大な問題である.この問題に加えて,実際の観測ではLy-α近くの波長の輝線をもつ原子が混在する可能性がある.

具体的には中性酸素原子輝線(波長130.4nm)が挙げられる. このような輝線は既存の狭帯域フィルタでは除去できず,観測精度を下げる.具体的には,99%以上の吸収効率を保ちつつ,上述のセル由来の迷光を1桁以上低減させることを目標とし,吸収セルに用いるフィラメント形状の最適化を目指す.

本研究で確立する分光撮像の仕組みは,観測対象(波長)を単一に絞ることで小型・軽量化を実現し,超小型探査機への搭載を可能にするものである.この装置は,2020年代後半に打ち上げられるESA/Comet Interceptorミッションへの搭載が決まっている.また,複数のNASAミッションプロポーザル,および観測ロケット実験への応用を検討中である.

具体的な研究計画は以下の通りである.

(1)吸収セルに用いるフィラメントの形状最適化と,(2)干渉フィルタ透過率特性の最適化を平行して進める.以下にそれぞれの研究内容の詳細を示す.

(1)吸収セルフィルタのフィラメント形状最適化

吸収セルには約100PaのH2分子を封入する.セルの入出射部には真空紫外光(Ly-αを含む)を透過するMgF2を用いるが,セルの内部にH原子が生成されたときのみH由来のLy-αを共鳴吸収する.なおH原子はセル内のタングステン製フィラメントを2000K以上にジュール加熱することで生成する.

このとき生成されるH原子の密度と温度が,共鳴吸収における光学的深さと線幅を決定する.またH2分子の解離効率はタングステンの温度と表面積に依存すると考えられる.すなわち,同じ形状ならば高温ほど解離効率が高い.しかしフィラメントの寿命は高温ほど指数関数的に短くなり,また迷光の原因となる黒体放射率も温度の4乗で増加してしまう.

一方,同じ温度ならば太い(表面積が大きい)フィラメントほど解離効率は高いが,線抵抗率が低いため必要な電力は線径の自乗で増加し,運用上の問題になり得る.さらにタングステン内部の温度勾配が大きくなり内部拡散を促進するため,フィラメントの寿命を短くしてしまうという難点がある.

そこで我々は,低温(2300K以下)で高効率な解離を実現するためにフィラメントの形状に着目している.本研究では図3に示すようにコイル状のタングステン線を用い,フィラメント断面形状と長さをパラメタとして低温・高解離度・長寿命を目指した開発を行う.

まず,線形の異なる3通りのコイルフィラメント(図3,表1)を製作し,真空環境下で耐久試験を行う.このとき,フィラメントに与える電力を段階的に変えることで,複数のフィラメント温度における寿命をそれぞれ測定する.なお,フィラメントの温度はタングステン線の抵抗率と温度の関係から導出できる(既知のデータベースを利用する).図3および表1において,Type A,Bは円形断面のコイル型フィラメントである.Type AとB

の断面積には4倍の違いがあるため,長さを1/4倍にして抵抗値を揃えている.表面積はType Aに比べてType Bの方が7倍大きい.一方Type Cは矩形断面のフィラメントである.これは,Type Aと同じ線抵抗率(同じ断面積)であるが,表面積が2倍近く異なるために生じる解離効率の違いを評価する.

(干渉フィルタ透過率特性の最適化)

本研究室は,吸収セルフィルタと組み合わせて用いる干渉フィルタの開発も進めている.ここで言うフィルタとは,MgF2基板上に高屈折率の誘電体を成膜することで干渉作用を生じさせ,所望の波長の光のみを透過(もしくは反射)させるものである.

原理的には誘電体の膜厚を調整することにより透過範囲を選択できる(ファブリペロ干渉計と同様の原理).しかし,既存の製品は透過半値幅が10nm程度もある.仮に121.6nmのLy-αにて透過率が最大になるように成膜すると,酸素原子輝線(波長130.4nm)も約0.7倍の透過率を示してしまう(図4黒線).

一般的に天体コロナにおいて,質量の軽い水素原子は酸素原子に比べて広範囲に分布する.従って大部分の空間領域ではLy-αと酸素輝線の強度比は1000:1かそれ以上であると考えられており,従来のフィルタにおける10:7程度の透過率比だとしても十分な科学成果を達成できる.

しかし水素よりも4桁近く量が少ないと予想される重水素の輝線強度を観測するためには,Ly-αと酸素輝線の相対透過率を1/10から1/100に低減させる必要がある.そこで本研究では,以下の2通りの異なる方策で上述の透過率比の達成を目指す.

1つ目は意図的にピーク波長を短波長側(波長117~118nm程度)にずらす手法である.Ly-αに対する透過率も下がるが,130.4nmへの透過率をより大きく減ずることで相対的な透過率比を下げられる(図4赤線).

具体的には誘電体の厚みを10-100Aの間で調整することで5nm程度程度ピーク透過波長を移動できる算段である.この場合Ly-αの透過率は約10%と低くなってしまうものの,130.4nmの透過率を1-2%程度まで低減できる(相対透過率1/5~1/10).このフィルタを2枚重ねることで相対透過率1/100を目指す.

上記の透過型フィルタと平行して,反射鏡の波長選択性を用いて分光するノッチフィルタにも着手する.こちらは反射率に波長依存性のある鏡を用いて多重反射の原理で相対的な透過率(反射率)を調整する仕組みである(図5上).

透過型と同様に入射角45°の光に対して図5(下)に示す反射率特性(複素屈折率と入射角を基に計算した値)をもつコーティングを用いて3-4回の反射を繰り返す.この手法(4回反射)は,Ly-αと130.4nmの理論的な透過率(反射率)が,それぞれ5%,0.01%となり極めて高い波長選択性を示す.一方でこの方式は幾何学的な構造が複雑になるため,光学収差が大きくなり,高い空間分解能を求める観測には不向きである.

2種類のフィルタを開発する理由は様々なミッション要求に即応するためである.寸法制約が厳しいミッション(例:超小型探査機など)の場合は前者の透過型フィルタを選択する.一方,比較的寸法制約に余裕があり,かつ空間分解能をそれほど必要としないミッション(例:地球近傍からのジオコロナ観測など)の場合は,相対透過率という点で優れている後者のノッチフィルタを選択する.